昭和町に暮らした科学者たち
台湾という土地が科学の対象として世界から注目されるようになったのは、この百年余のことです。それは、温帯・寒帯に住む日本の科学者たちが亜熱帯の台湾へ移り住み、研究に没頭し、その功績が台湾近代科学の礎を築いたことに始まります。戦後、彼らは台湾を離れ、かわって西の大陸型気候に住む学者たちが島嶼気候の台湾にやって来ました。彼らもまた、異なる視点から台湾を研究し、数多くの駿才を育て、台湾の学術界に大きな貢献をしました。
「昭和町」は、早くから学者や技術者が集まる土地であり、彼らが家族と共に暮らす場所でした。
医学 堀内次雄(Tsugio Horiuchi, 1873-1955)
ペストやマラリアの撲滅に尽力。台湾医学校の校長として多くの台湾人医師を輩出。
昆虫学 素木得一(Tokuichi Shiraki, 1882-1970)
イネの農業害虫の調査や研究をし、台湾の多くの昆虫の学名に「Shiraki」の名を残す。
農芸化学 渋谷紀三郎(Kisaburou Shibuya, 1883-1951)
土壌改良に尽力し、台湾農業試験研究の基礎を確立。
農学 磯永吉(Eikichi Iso, 1886-1972)
台湾在来種のお米の改良に成功し、「蓬莱米の父」と現在も称えられている。
気象学 白鳥勝義(Katsuyoshi Shiratori, 1897-1957)
台湾気象学の研究を切り開き、「台湾気象学の父」と称された。
軍事工学 俞大維(David Yule, 1897-1993)
弾道学の権威。1958年、金門島での激戦時の国防相。「中国軍事工学の父」と称された。
農業工学 高坂知武(Tomotake Takasaka, 1901-1997)
農業機械を研究・開発し、台湾農業の近代化に貢献した。戦後、台北日本人学校を創立した。
有機化学 野副鉄男(Tetsuo Nozoe, 1902-1996)
タイワンヒノキから抽出したヒノキチオール研究で、日本の朝日賞を受賞。
土木工学 丁觀海(Guanhai Ting, 1911-1991)
弾性力学の研究に尽力。物理学者、丁肇中の父親でもある。
物理学 丁肇中(Samuel C. C. Ting, 1936-)
量子力学で、ジェイプサイ中間子を発見、1976年にノーベル物理学賞を受賞。